喜多酒造の喜多整社長兼杜氏の日本酒教室

電子顕微鏡の写真で日本酒酵母を説明する喜多講師

奈良県橿原市の「今井町にぎわい邸」での喜多酒造日本酒教室は、生徒9名の参加で開催されました。中学生に戻って理科の授業を受けるような楽しさでした。喜多整(ひとし)社長は東京農業大学の醸造学科出身。国税局の醸造研究所で二年の研究歴があるだけに日本酒の醸造や美味しさの理由を理論立てて解説してくれます。

一般米と酒造好適米の玄米を実物教材で比べます

まず日本酒の原料である米の話。お米には私たちが一般に食べているのとは別の醸造好適米と呼ばれるグループがあります。兵庫県の「山田錦」は有名ですが、奈良県にも「露葉風」がありいい勝負をしています。

精米後の酒米と一般米。左の五百万石は50%の精米歩合。

では一般米と醸造好適米(酒米)は何が違うのか?それは米粒の中心部分に白くなっていることです。これを心白と呼び、デンプンが密には詰まっていません。つまり分子レベルで隙間が多い。この部分に麹や酵母が入り込んで効率的に仕事をしてくれるのです。

酒米の精米比率(歩合)の理由を説明する喜多講師

現代の日本酒はかなり精米をします。大吟醸と呼ばれる日本酒なら50%以上を精米して削ってしまうのが規則。なぜそんなに削るのかというと、米粒の中心部分はデンプンの純度が高いのですが、外側に行くほど蛋白質、脂質やミネラル分が多く含まれます。これらのデンプン以外の成分はお酒の雑味を生成していやなクセのある酒になる。 だからすっきり嫌味のない酒を造るためには心白だけを使いたいのです。

真ん中が麹菌の胞子を満載した種麹。右は胞子を落とした後の種麹。左は蒸米に麹菌が散布されたもの。

米の次は麹の解説。麹は御存じカビの一種。でも麹がお酒を造ってくれるわけではありません。麹の役割りは酒米のデンプン分子を分解してブドウ糖を作ること。米のデンプンが糖化された状態を「甘酒」と呼びます。甘酒は酒粕を水で溶いて砂糖を入れたものだと思っている人もいますが間違いだそうです。そしてそのブドウ糖を分解してアルコールと二酸化炭素を生成するのが日本酒酵母のお仕事です。基本的にはパンを焼く時の酵母と同じものですが長年の研究の結果、日本酒製造に最適な酵母がいくつか開発されたそうです。

日本酒に甘口、辛口というのがあります。瓶の裏のラベルを見たら「日本酒度+3」とか書いてある、あれです。プラス+が多くなると辛口で、マイナス-だと甘口。+10は超辛口。-10は超甘口となります。驚いたことにこれは 人間の味覚で判断する 官能試験ではなくて、それぞれの日本酒の比重で決まります。醸造して出荷の際に糖分が多く残っていると比重が重く、より多くの糖分がアルコールに変わっていると比重が軽い。この日は日本酒度+20というウルトラ辛口も飲ませていただきました。

講義の後半は喜多酒造の四種類の日本酒の飲み比べ。味の感想をメモしておきます。

この日に飲み比べたのは
・大吟醸 「白檮(はくじゅ)」 橿原神宮の公式日本酒です
・純米吟醸 「利兵衛(りへい)」 驚きの日本酒度+20
・純米吟醸 「御代菊(みよきく)」 水もとつくり菩提川の酵母使用
・純米 「御代菊(みよきく)」 水もとつくり大神神社の酵母使用
日本酒の味をよく理解するように「おつまみ」はなし。酒と酒の間に「やわらぎ水」として喜多酒造の仕込み水を口中の日本酒を洗い流しながらの飲み比べです。

利き酒は第一印象が大切、と喜多講師からアドバイス

授業の最後のプログラムは理解度テスト。A,B,C,Dと書かれたカップのお酒が教材のどの銘柄なのか飲み当てます。これを利酒(ききさけ)とかマッチングと呼びます。この日の生徒はなかなか優秀で、なんと9人中4人が全銘柄正解しました。香高い大吟醸「
白檮(はくじゅ)」 とアルコール度数20%で日本酒度+20の 「利兵衛(りへい)」 はすぐにわかりますが、純米酒と純米吟醸は微妙な味の違いでした。

おしのぎ(軽食)を食べながら、間違えた銘柄を飲んで復習です。

理解度テストが済めば喜多講師のお許しがあり、軽食が出ます。この日はそうめん、お稲荷さん、巻き寿司、冷や奴、漬物です。大和では「虫養い」と呼ぶようです。腹の虫を黙らせる軽食ですね。お勉強は何でも復習が大切。四種類の日本酒教材を自由に飲みながらなぜ間違ったかを反省します。 この日の教材の日本酒は高いものと安いもので値段の差が三倍以上あるので、味のわからないというのは高いものを飲んでも値打ちが分からないという事になります。

女性からの詳細な質問に答える喜多講師

もはや日本酒はおじさんだけのものではなく、若い女性にも確実にファンが増えています。この日も女性の参加が3人。特に若いお二人は講師を捕まえて質問責めにしていました。家庭で飲食の大きな権限を握っている女性に受け入れられるかどうかで日本酒の将来が決まる時代になってきました。

神武天皇の建国の詔(みことのり)


明治天皇に似ているといわれる初代神武天皇の肖像
(橿原神宮のホームページから)

日本書紀によれば、今を去る2679年前に神武天皇が橿原の宮で即位、初代天皇となりました。 その時の詔があります。日本の国を創るという宣言文と言っていいでしょう。原文は漢文で以下の読み下し文はWIKISOURCEからの引用です。声に出して読みたい日本語ですね。

三月(やよひ)、かのとのとりの朔、ひのとのうの日、令(のり)を下してのたまはく、我東(ひがし)を征(うち)しより、こゝに六年(むとせ)なり。皇天(あめのかみ)のみいきほひをかうふりて、凶徒(あた)ころされぬ。邊土(ほとりのくに)いまだしつまらず、餘妖(のこりのわざはひ)なほ梗(あれ)たりといへども、中洲(うちつくに)の地(ところ)また風塵(さはぎ)なし。まことによろしく皇都(みやこ)をひろめひらき大壯(みあらか)をはかりつくるべし。しかるにいま、運(とき)此屯蒙(わかくくらき)にあひ、民(おほみたから)のこゝろ朴素(すなほ)なり。巢(す)にすみ穴(あな)にすむ、すむしわざ、これ常となれり。かの大人(ひじり)制義(のりのことはり)をたつ、かならず時のまにまにいやしくも、民(おほみたから)に利(くぼさ)あり、なんぞ聖造(ひじりのわざ)にたがはん。且まさに山林をひらきはらひ、宮室(おほみや)ををさめつくりて、つゝしんで寶位(たかみくらゐ)にのぞむべし、もて元々(おほみたから)をしづむべし。上はすなはち乾靈(あめのかみ)、國をさづけ給ふ德(うつくしみ)にこたへ、下はすなはち皇孫(すめみま)正(たゞしき)をやしなひ給し心(みこゝろ)をひろめん、しかうしてのちに、六合(くにのうち)をかねてもて、都をひらき八紘(あめのした)をおほひて、宇(いへ)とせんことよからざらんや。みれば、かの畝傍山(うねびやま)の東南(たつみ)のすみ橿原(かしはら)の地(ところ)は、けだし國の墺區(もなか)か、みやこつくるべし。

この詔のなかに「 八紘(あめのした)をおほひて、宇(いへ)とせん 」というくだりがあります。原文の漢字で書けば「 掩八紘而爲宇 」。その心は、世界中をカバーして一つの家にし、すべての生命が家族のように仲よくする、ということでしょうか。

これを友人の書道家である辻本長彦さんに書いてもらいました。

八紘(あめのした)をおほひて、宇(いへ)とせん

これを床の間の軸にして茶会を開きます。一回目は令和元年6月16日(日)東京の新宿御苑にて。
https://www.mahoroba-kan.jp/nara-relation_details248.html

二回目は未定ですが、橿原神宮で出来ればいいなあ、と考えています。

歴史のまちなみ 橿原市今井町の時代行列を見てみましょう

毎年5月の第3週には今井町の「町並み歩き」のイベントがあります。2019年は5月11日(土)から5月19日(日)まで。特に最終日の19日には午前と午後の二回、茶行列があります。

茶行列の一行が重要文化財「米谷家」のまえで記念写真。 役者たちは毎年一般公募しています。

今井町は天文2年(1533年)に一向宗の道場として成立した称念寺の寺内町で環濠集落です。大坂本願寺と呼応して時の権力者織田信長に叛旗を翻しましたが休戦となり天正3年(1575年)には信長から朱印状が発行されました。この仲介役として茶人の津田宗及が活躍したとされています。

織田配下の武将であった明智光秀からの書状を掲げて歩く津田宗及役

この光秀書状の解読は2019年5月25日 今井町での古文書教室でやる教材ですね。

織田信長の支配は豊臣秀吉に引き継がれ、江戸時代に商人町としての最盛期を迎えます。お茶で信長に仕えた今井宗久は今井の出身という説もあり、別の茶人である津田宗及が講和に尽力した経緯から、今井では茶の湯が盛んであったことが分かります。今ではあまり使われていませんが、町内の旧家には大抵茶室があります。

茶行列の先触れをする時代扮装の瓦版売り

茶行列は茶の湯にゆかりの深い今井の歴史を時代行列で表現したもので織田信長、豊臣秀吉、千利休、今井宗久、津田宗及、町衆、お女中、茶職人などが桃山時代からの町並みを練り歩きます。

重要文化財河合家の前を通り過ぎる茶行列  町内には9件の重要文化財があり着物が映えます 

行列が終わると茶席が始まります。床の間に近い上席には織田信長、豊臣秀吉、津田宗及の3人が座ります。お茶の前に今井の銘菓「宗久饅頭」をもぐもぐもぐ。

行列の和服は映画の時代劇の衣装などを専門に扱う「東京衣装」さんに頼んだ特製品です
右の二人は南アフリカから、三人目はアメリカのニューヨークから奈良県に滞在中の留学生です

お茶席の近くの重要文化財米谷家には面白い形のカマドがあり記念撮影に人気です。

女性の華やかな着物姿、いいものです。前のふたりは男装の津田宗久と今井宗久です

来年の行列に参加したい人は今井町町並保存会のホームページをチェックしてください。
http://www3.kcn.ne.jp/~imaicho/

室町時代の今井町成立の謎

この連続古文書教室は今井にフォーカスして深る掘り下げる企画。初回には資料として称念寺文書の写真版五点と翻刻資料十点が配布され、大和において今井が如何に特殊な町であったのかが語られました。称念寺の今井慶子住職も参加して議論はエスカレート。 あっという間に時間が過ぎました。それにしても今井はその成立・発展に謎の多い町です。教室では次のような話がありました。

中世を通じて大和一国を牛耳っていたのは興福寺。大名のような存在だったようです。異教徒の一向宗が天文二年(1533年)今井の土地に道場をつくるのを興福寺が防げなかったのはどうしてか?

今井を築いたのは本願寺の門徒で近江から来た 河瀬兵部房だが、こちらに来て今井兵部豊寿を名乗った経緯は? もともと居たはずの今井氏はどうなったのか?

近くに八木という立地(横大路と中街道の交差点)に恵まれた商人町があるのにどうしてわざわざ近くに別の商人町を作ったのか? 商いの町なのに商売客の町内での宿泊を禁止したのはなぜか?

道場建設からたった四十年、天正三年には信長から朱印状をもらうほどの地位になった。 どうやって短期間に「海の堺、陸の今井」と並び称されるような一大商業集積地となったのか?

この辺りのことはわかっておらず昭和31年の今井町史における永島福太郎先生の記述にも苦労の跡があります。この古文書教室は以下の日程で続きます。問い合わせは大和まちなみ文化塾 090-6486-9555まで。

大神(おおみわ)神社の表千家家元による献茶会

大神神社の拝殿のお供物 濃茶、薄茶は点前の小さな台にお供えする

献茶の会は七人の神官と家元が神事として高い格式で執り行なわれました。神官、楽団、家元、参列者へのお祓い、献饌(お供物の水とお酒の容器のふたを取る儀式)、祝詞奏上、献茶、関係者玉串奉奠、撤饌( お供物の水とお酒の容器のふたを取る儀式 )、神主挨拶と合計で90分ほど。

写真は家元ではなく準備をしているお弟子さん

お点前やお道具は面白いものがありました。まずお茶碗は天目茶碗と言いまして木製の台に乗っています。濃茶と薄茶を入れる茶器は白木製。水差し、建水、柄杓立ての皆具はオランダのデルフト焼きでそろえてました。お点前も出来るだけ茶碗を畳に置かないように空中で茶筅通しをしたりの独特の者でした。息がかからないように白いマスク(和名はなんでしょう?)をしてましたし、極めつけは袱紗でしょう。片面が通常の紺色で、もう片面が純白です。神事のこととて写真撮影は控えましたが、撮りたくてたまりませんでしたね。

濃茶と薄茶の点てられて、それぞれ神官が御神前に運びます。家元が点茶の後に天目茶碗に蓋をし、神官が御神前に運んでから蓋を取ります。献饌の作法でしょう。蓋を取った時が正式に捧げたことになります。

献茶の台子。タバコの葉の模様のデルフト焼きはオランダ製の本物だとか。

このようなセレモニーには副席が付き、表千家のグループが釜をかけます。釜をかけるとは茶会を開くことですね。三輪らしいそうめんの軽食もついて朝の10時から昼の3時まで色々と楽しめる趣向です。表のお茶を習う人がお仲間や教室での話題に乗り遅れないためには参加は義務のようなものかもしれません。伝統文化を守って行く仕組みとして家元制度というのは、本当にくやしいほどよくできていますね。

最後にクイズです。
献茶式は神社と家元の合意の上に執り行われるのですが、家元が神社に 会場使用料を支払うのか、逆に神社が家元に出演料やコーディネーション料金を支払うのか、いったいどちらでしょう? ヒントですが、300人の参加者が5000円のチケットを買ったとして、献茶イベントの収入は150万円ほどです。

五徳の語源と今井町で見つけた鍛冶屋さん手作り可動五徳

五徳というのがあります。茶の湯をやる人ならおなじみですね。茶釜を支える金属の器具です。ガスコンロの鍋釜を支える器具も五徳というそうです。

こちらは茶の湯用の五徳。オリジナルの形です。
こちらはガスコンロの五徳。五徳の定義に合ってます。

ウィキペディアによる五徳の定義はこんなのです。
「五徳(ごとく)は、炭火などの上に設置し、鍋やヤカンなどを置くための器具。具体的には炉(囲炉裏、火鉢、七輪、焜炉、等々)の熱源上に置いて、鍋、やかん、土瓶、鉄瓶、焼き網などを乗せるために用いられる支持具をいう。」

じゃあどうして五徳とよぶのでしょう? 昔の茶坊主が来ていた十徳と関係あるのでしょうか? ありません。昔、囲炉裏や火鉢で煮炊きするために灰の上に金属の器具を置いて「くどこ」と呼びました。「くど」とはイロリやカマドなどの調理用の設備のことです。「くど」にちょこんと置くから、「くど」の「子」で「くどこ」。

オリジナルの「くどこ」の形は輪っかに三本足のついたもので、今でも茶の湯に使われています。最初この「くどこ」は輪を上にして釜をのせてました。しかし輪っかも釜も昔は手作りなので丸みがピッタリおさまらずガタガタします。知恵者とはいるものでこれを上下逆にして使ってみました。三本足に釜を乗せるとピタリと置けます。

逆においたから名称も逆にしなければと思ったのか?
「くどこ」→「こどく」→「ごとく」→「五徳」となりましたとさ。茶の湯をやる人独特の洒落言葉ですね。

今井町で見つけた火鉢の五徳

先日今井町のとあるお家で火鉢を見ました。五徳がついていて炭の上に薬缶を支えるために使うようです。輪っかは火鉢の内側にぴったり収まっているので注文品でしょう。でも五徳の腕が火鉢の真ん中近くまで伸びていると炭を置きにくくないですか? でも大丈夫。

五徳の羽根を回して火鉢のふちに寄せた状態

何と、この五徳の羽根は回転式で脇に寄せられるのです。中間で止めると大きめの鍋を乗せるのに便利です。

大きな鍋を乗せるときはこんな感じ

今井町の古いお家には昔のお道具がたくさんあります。へえ、昔の人はこんなものを使って、そんな暮らしをしてたんだあ、という発見がありますよ。

羽根は輪っかを支える足にはめられています

古民家を詳しく学習する 今井町町家建築めぐり

町家建築の材料や工法、地震対策また空き家対策にいたるまで総合的に町家建築を学習するイベントでした。主催は香芝市にある空間エコロジー研究所。参加者は10人ほどでした。9時から12時過ぎまでのプログラムで参加費は一人2,000円。

今井町の町家館新館での講義


最初に講義が二本。
最初は「町家の再生サポートを通じて」
講師は今井町町家再生研究会の上田琢也さん。
14年間の活動で空家だった93軒の町家に新住民の入居をお世話した話です。

講師の上田さん(点前)と上野さん

二本目の講義は「町家修理・修景の建築体験談」
講師は上野建築研究室の上野潤さん。最近設計監理した寺田家住宅の経験をもとに今井町内のいくつかの町家について論評がありました。

講義の後は町をあるいて色々なタイプの町家を視察しました。特に寺田家住宅、今井町にぎわい邸には上がり込んでじっくりと説明を受けました。コーヒー焙煎の専門店の洲脇家にも入って今井に移住したきっかけ、改修のこと、家族としてのここでの生活のことを話してもらいました。

重要文化財 今西邸の説明をうけています
町家を改装して移住してきた洲脇さんからお話を聞きました

にぎわい邸は200年の古民家をモダンに改装した住宅です

今井町のまちなみの見学なら、橿原市のボランティアガイドにお願いするという方法もあります。しかし町家建築の講義を聞き、実際に町家に上がり込んでじっくり解説を受ける、というプログラムはなかなか着眼が良いと思います。実際に参加者も確保出来ていました。

実はこの今井町の古民家の専門的な学習会は「大和まちなみ文化塾」でも考えていた企画です。奈良県や近隣府県の建築士会と連携して、今井町をヘリテイジ・マネージャーの研修センターにするという構想です。

町家専門研修の口火を切られた空間エコロジー研究所さんに敬意を表して色々と協力し、こちらとしての企画を充実させたいと思います。空間エコロジー研究所さんは今後も同様のイベントを考えているようです。連絡先を以下に記しますので興味のある人は連絡してみてはいかがでしょう。建築関係の人、古民家の改修を考えている人、今井町に移住したい人にはおすすめです。
 空間エコロジー研究所 村岡果林
 電話:050-3740-5222
 メール:info@kukan-eco.com