神武天皇の建国の詔(みことのり)


明治天皇に似ているといわれる初代神武天皇の肖像
(橿原神宮のホームページから)

日本書紀によれば、今を去る2679年前に神武天皇が橿原の宮で即位、初代天皇となりました。 その時の詔があります。日本の国を創るという宣言文と言っていいでしょう。原文は漢文で以下の読み下し文はWIKISOURCEからの引用です。声に出して読みたい日本語ですね。

三月(やよひ)、かのとのとりの朔、ひのとのうの日、令(のり)を下してのたまはく、我東(ひがし)を征(うち)しより、こゝに六年(むとせ)なり。皇天(あめのかみ)のみいきほひをかうふりて、凶徒(あた)ころされぬ。邊土(ほとりのくに)いまだしつまらず、餘妖(のこりのわざはひ)なほ梗(あれ)たりといへども、中洲(うちつくに)の地(ところ)また風塵(さはぎ)なし。まことによろしく皇都(みやこ)をひろめひらき大壯(みあらか)をはかりつくるべし。しかるにいま、運(とき)此屯蒙(わかくくらき)にあひ、民(おほみたから)のこゝろ朴素(すなほ)なり。巢(す)にすみ穴(あな)にすむ、すむしわざ、これ常となれり。かの大人(ひじり)制義(のりのことはり)をたつ、かならず時のまにまにいやしくも、民(おほみたから)に利(くぼさ)あり、なんぞ聖造(ひじりのわざ)にたがはん。且まさに山林をひらきはらひ、宮室(おほみや)ををさめつくりて、つゝしんで寶位(たかみくらゐ)にのぞむべし、もて元々(おほみたから)をしづむべし。上はすなはち乾靈(あめのかみ)、國をさづけ給ふ德(うつくしみ)にこたへ、下はすなはち皇孫(すめみま)正(たゞしき)をやしなひ給し心(みこゝろ)をひろめん、しかうしてのちに、六合(くにのうち)をかねてもて、都をひらき八紘(あめのした)をおほひて、宇(いへ)とせんことよからざらんや。みれば、かの畝傍山(うねびやま)の東南(たつみ)のすみ橿原(かしはら)の地(ところ)は、けだし國の墺區(もなか)か、みやこつくるべし。

この詔のなかに「 八紘(あめのした)をおほひて、宇(いへ)とせん 」というくだりがあります。原文の漢字で書けば「 掩八紘而爲宇 」。その心は、世界中をカバーして一つの家にし、すべての生命が家族のように仲よくする、ということでしょうか。

これを友人の書道家である辻本長彦さんに書いてもらいました。

八紘(あめのした)をおほひて、宇(いへ)とせん

これを床の間の軸にして茶会を開きます。一回目は令和元年6月16日(日)東京の新宿御苑にて。
https://www.mahoroba-kan.jp/nara-relation_details248.html

二回目は未定ですが、橿原神宮で出来ればいいなあ、と考えています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です