(写真1)博物館のイベント広告
見てきました。東京国立博物館の「出雲と大和」展。出雲(島根県)は一度行っただけなので、知らないことが目白押し。発掘品からは出雲に大きな勢力があったことが分かります。しかも大和とは別系統の。おびただしい鏡や剣の出土品の展示にも圧倒されますが、面白かったのは古墳の形。大和では前方後円墳がポピュラーですが、出雲の古墳で特徴的
なのが、四隅突出型墳丘墓。上から見たら長方形なのですが、四隅がビヨーンと飛び出しています。
(写真2)島根県出雲市大津町の西谷 3 号墓
3世紀には長方形の長いほうの辺が50mのものが作られていた、と言いますから大きな勢力でしょう。このタイプの墳墓の分布は中国地方の山中から島根県、そして福井県、石川県、富山県にも残っているようです。副葬品もいろいろ見つかっていますが、奈良時代になるころから作られなくなったそうです。
そこで気になるのが、国譲りの神話。今回の展覧会では「出雲が幽をとり、大和が顕をとった」としています。つまり政治の実権は出雲から大和に移ったということです。何があったかは想像するしかないのですが、出雲王朝は大和王朝に権力を移譲し、そのかわり祭祀を担当すことになったのでしょう。国と国との併合は歴史上色々あります。ブリテンとスコットランド、ヒトラーの時のドイツとオーストリア、1910年の日本と朝鮮の併合。戦って呑み込まれたのでは無かったにしろ、勢力には強弱があって、一方にとっては不本意だったのかもしれません。
【写真3】 鎌倉時代までの出雲大社は高さ48mだったとか。16階建てのビルの高さ!
大和の王朝は併合の条件として、大和に出雲のオオモノヌシの神を最高の神としてまつることにしたのかも。あなたたちの神を自分たちの神としてお祭りするから一つの国になろうね、というでしょう。大神(おおみわ)神社の御祭神オオモノヌシと出雲のオオクニヌシとは同じ神とされています。
次に感激したのは石上神宮の「七支刀」。日本書紀では「七枝刀 ななつさやのたち」と書かれています。展示品の盛りだくさんななのでそれなりのペースで会場をあるいていると、その刀が視野を横切りました。「ああ、石上のあれね。多分レプリカでしょ。」と思いつつも念のために確認すると、なんと国宝の本物でした。この刀が作られた年にしてから268年、369年、468年と諸説がありますが、百済王から大和に贈られたのは間違いないようです。ただし献上なのか下賜なのかには論争があります。つまりどちらが格上なのかの議論。今も昔もですね、ほんとに。石上神宮には毎年正月の2日に橿原からランニングでお参りしています。今回、本物の宝物を見ることが出来て、ありがたさ100倍でした。
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