「今井町の多様な講行事」

今井町の講

室町時代の町割り、江戸時代の古民家が建ち並ぶ橿原市の今井町。ここでは現在も多くの講が営まれています。

日待講

今井町南町第一班の日待ち講

伊勢講で町内では三二組です。毎年七月十六日に当屋で掛け軸をお祀りし、春日社の神官二人が分担して祝詞を奏上します。お菓子、果物を供えます。文化五年(一八〇八)に復活したとの古文書を持つ講があります。かつては講員が順番に伊勢参りをしていました。

地蔵講

今井町内ある隣組の地蔵講のお飾り

町内で二十五組ほどあり、ご神体は大抵小さな石仏ですが、木像や掛け軸もあります。講の依頼を受けた町内の四カ寺のいずれかから僧侶が出向き、それぞれの宗派のお経をあげます。お菓子、果物を供えます。

春日講

今井の産土社で神仏分離までは天台宗多武峰妙楽寺の末寺で常福寺と一体でした。行事は十月第三土日の秋祭りで二台のだんじり巡行が自慢です。六月三十日の夏祓いの茅の輪くぐりには多くの人が参加します。

行者講

七月七日に行われる行者講(星祭り)の護摩焚き

旧常福寺の行者堂の役小角を毎年七月七日に星祭りと称してお祀りします。町内の日蓮宗蓮妙寺の僧侶二人が護摩焚きをします。護摩木は一本二百円。事前に各家で願い事を書いたものを集めますが、町外に住んでいる子や孫の健康を祈念する護摩木も多く、中々の経営手腕です。

観音講

旧常福寺の観音堂には西国三十三カ所の観音像があり、以前は毎月十八日に町内から年配のご婦人が集まり三十三カ所札所の御詠歌を上げていました。今は年一回五月のみの行事になりました。

太子講

聖徳太子は飛鳥時代に法隆寺や四天王寺という素晴らしいお寺を建てられたので大工さんから崇敬されています。町内の浄土宗西光寺には聖徳太子の木像があり、かつては年一回大工さん達が集まり講を行っていました。

大師講

こちらは弘法大師の信仰です。三十年ほど前には講元が講員から月々の掛け金を集めておいて、年に一回全員で高野山に一泊二日でお参りしましたが、現在は行われていません。

弁天講

旧畝傍銀行(のち南都銀行畝傍支店)の頭取が高野山から授かった弁財天の掛け軸を年に一回お祀りします。取引先などを招待し、神官に祝詞をあげてもらい直会をしてました。畝傍支店の廃止に伴い存続状況は不明です。

庚申講

蘇武橋公園の庚申石碑(町内に3本あるうちの一つ)

町内に庚申の石碑が三基あるのでかつては講かあったのでしょうが、平成の中頃までは恒岡家一軒だけで泥棒と魔除けのために庚申行事が行われていました。

報恩講

町内浄土真宗の称念寺、順明寺の行事で、阿弥陀如来と宗祖親鸞聖人に感謝する法会で、檀家が参列して講師として招いた同宗派の僧侶の法話を聞きます。かつては称念寺の報恩講は大きな行事で、御堂筋と呼ばれる門前の道に百メートルも露店が並んだと言います。

初午稲荷

これは講ではないのですが、平成の前半までは毎年三月の初午の日に、町内の商家がお稲荷様をお祀りし、やってくる子供たちにのぼり飴を上げていました。のぼり飴作りの職人が亡くなって途絶えてしまいました。

春日社の六摂社

春日社の境内には摂社があり、八幡さま、天満さま、人麻呂さま、恵比寿さま、弁天さま、金毘羅さまの六柱です。このうち恵比寿さまの初市は毎年正月八日で今も続いています。他の神さまもかつては縁日や講があったと想定されます。

今井の講の特徴

報恩講以外は住民主体の運営によるものですが、神官・僧侶の関わりを期待する傾向にあります。例えば日待ち講では町内春日社の神官に来ていただいき、また地蔵講では町内四カ寺から僧侶を招きます。

 報恩講以外の講事の費用は住民の組が負担します。日待ち講、地蔵講には色々なお供えがあります。お供えの数で講を構成する所帯数が分かります。桃が七個、お菓子が七個ずつのところの世帯数は七軒というわけです。住んでいる町内会の隣組に日待ち講や地蔵講があったとしても参加するかどうかは各家の自由です。

 講事は毎年の年中行事で、季節ごとの食べ物と関連付けられていました。この行事にはこの野菜、この行事にはこの魚と、旬のお供え物が決まっており、町内の八百屋などもそれを心得て仕入れをしたそうです。

講が抱える課題

かつては有効な町内社交、娯楽の手段であったのでしょうが、今では娯楽は他にありますし、ご近所付き合いが少なくても生活に困りません。

 地蔵講などは子供が喜ぶからと戦後に始めた隣組もありますが、現在は高齢化も進み、子供のいる世帯はとても少なく、お祭りする励みに欠けるかもしれません。地蔵講の当屋に当たれば七月二十三日、二十四日は平日でも自宅に居なければなりません。共働きの夫婦には辛いところでしょう。

 さらに宗教も多様化し、また無宗教の人も増え、講で祀る神仏への信心がないという問題もあります。このような複合的な理由により、講事は行われなくなって来ており、かろうじて高齢者に支えられている状況です。

新しい意味付けを

 滅びつつある講行事に信仰やコミュニティ団結以外の意味を持たせるとしたらそれは何でしょう? 私は無形の民俗文化としての教材活用ではないかと思います。今井町は室町時代からの地割の残る古い町で国の伝統的建造物群保存地区に指定されています。町並みは有形文化ですが、同時に住民の暮らしの中には独特な民俗文化が残っています。  

 この講事をはじめとする生活文化を学校教育、社会教育の教材として、今井町内外の老若男女の歴史学習に役立てられないでしょうか。もちろん講行事は神仏あってのことですから、参拝・見学する人はお賽銭を上げて、行事の存続に貢献してもらうことも大切でしょう。

(さかもと・ひでお=大和まちなみ文化塾塾長)

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