厦門(中国語発音ではシャーメン)での仕事の後、福建土楼を視察した。厦門からのずっと運転してくれた運転手の李さんがあちこち案内してくれた。2008年に土楼群がユネスコの世界文化遺産に登録されて「格付け」が進んだからか、一族の繁栄の違いか、閑散とした土楼と住民や観光客でにぎわっている土楼の違いが極端だった。
9つの土楼を見た。円形が7つ。方形と楕円形が一つづつ。外壁は石の腰壁に土の外壁。腰壁の石は1mほども土中に続いており、壁の下に穴を掘って侵入しにくいという。土壁は版築といい土に 石灰、砂、粘土を混ぜて、型枠に入れ上からたたいて締め固める。モロッコのアトラス山中にあるベルベル人の集合住宅クサールと同じ工法だ。壁の厚さは一番下では2m以上もあり、上に行くほど薄くなるといっても1mはある。大東亜戦争の前のこと、賊が立て籠もった土楼を中国軍が砲撃したが外壁は壊れなかったという。
一階部分に窓はなく、2階から上に小さな窓がある。 砦ともいえる集合住宅だ。土楼によっては最上階に銃眼が開けてあり、外壁の内側に廊下がずっと走っていて、どちらから攻められても上から銃撃できるという。一方で内側の構造はすべて木造。一度正面の門を破られて火をつけられると脆いだろう。そのため正面の門も堅牢に作ってあり、門が火攻めされた場合の対策も施してあるという。
円形の土楼のプランはだいたい同じだ。大きさは色々あって30~80世帯が住むという。南の入り口を入ると正面北側に先祖の廟がある。土楼は同族の集合住宅だから一つの土楼に住む家族は同じ姓を持つ。入口から見て階段は西と東に一つずつ。一階の円形広場には井戸があるが、円の中心からは外れている。面白いのは専有区分で、一つの家族は縦に部屋を使っている。一階が台所、二階が寝室、三階が倉庫といった具合だ。大きな家族は2つ、3つのユニットを垂直方向に占有している。お天気であれは広場に落ちる日照で時間がわかるだろう。これはモンゴルのゲルと同じ原理。
上の写真は田螺坑土楼 (Tian luo keng tǔ lóu ) 群 。ニックネームは「四菜一湯」。食事のおかずが4品でスープが一品という意味。ゴジラでもこんな大食いはしないだろう。かつて衛星写真で円形土楼を見たアメリカ軍がミサイルのサイロだと勘違いしていたという話もある。福建土楼は集合住宅。日本で集合住宅と言うと都会や町にあるものだけど、福建土楼はえらい山の中にある。これには歴史があり、中原(黄河流域)や華北から故郷を追われて揚子江の南まで逃げてきた 客家と言われる人たちが 「客家(はっか)」と呼ばれる人たちが、主として土楼を建てた。
客家は古くは紀元前から、時代が下がっては清の時代まで五波にわたって南に移動して来て、勢い余って台湾や海南島はもとより、華僑として東南アジアにまで移民した。華僑の1/3は客家だそうで海外での政治家も多い。
・リー・クワン・ユー(元シンガポール首相)
・タクシン・チナワット(元タイ王国首相)
・ 李登輝(元台湾総統)
中国国内では
・孫文(元中華民国主席)
・鄧小平(元中国主席) などがいる。
各国の建築や暮らしぶりに感心のある人は是非訪れてみるといい。厦門から車で2時間ほど。厦門のまちでは日帰りのパッケージ・バス・ツアーも売っている。土楼地区に入るには入場料が必要だが、民宿をやっている土楼もあるので泊ってくるのも面白いかもしれない。
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