目次
1.始めに
2.行事のあらまし
2-1) お祓いと禊ぎ
2-2)茅の輪くぐり
2-3) 茅の輪つくり
3.大祓いと茅の輪
3-1) 大祓いの意味
3-2) 大祓いの詞(延喜式から)
3-3) 茅の輪くぐりの意味
1.始めに
橿原市の伝統的まちなみ、今井町の春日神社では毎年6月30日に大祓いの儀式と茅の輪くぐりが実施されます。2019年に取材したところ100人ほどの人が参加してしめやかに執り行われました。
2.行事のあらまし
2-1) お祓いと禊ぎ
6月30日の午後4時から神事が始まります。まずは参列者が拝殿の南側にあつまり詞(ことば)を聞きます。昼からの豪雨も治まって少し涼しい夕方です。神主さんに尋ねたところ、大祓いの詞は全国共通でネットで検索すればすぐに出てくるそうです。実際そうでした。延喜式(905に集大成された古代法典)に載っているので1100年も奏上されている詞(ことば)です。大祓いは祝い事ではないので祝詞(のりと)とは言いません。
詞の奏上に続いて修祓(しゅうばつ)がありました。神主さんが大幣(おおぬさ)を一同に向かって振り、参加者の穢れを清めてくれました。その後は麻の葉と紙を刻んだものを体に振りまいて、さらに穢れを取り除きます。その後はいよいよ茅の輪くぐり。参加者には事前に3つの和歌が書かれた紙が渡されます。
茅の輪は三回くぐりますが、毎回別の歌を唱えます。
第一回目
思ふ事 皆つきねとて 麻の葉を きりにきりても 祓いつるかな
(現代語)悩み事をみんな無くしてしまおうと、麻の葉を細かく切って 身を清めたことである
第二回目
みな月の なごしの祓する人は 千年(ちとせ)の命 のぶというなり
(現代語)六月の夏越しのお祓いをする人は千年も寿命が延びると言われているよ
第三回目
宮川の 清き流に禊(みそぎ)せば 祈れる事の 叶はぬはなし
宮川の清い流れで身を清めれば、どんな願い事でも叶ってしまいます
茅の輪を三回くぐるにも作法があり。一回目はくぐった後左まわり、二回目は右回りして再度くぐります。つまり∞(無限大)の字を描くようにくぐるわけです。くぐり終わったら本殿にお参りして次の半年の健康をお願いします。
次は工作の時間。茅の輪作りです。各自が茅の葉を三本ほどもらって、下の太いところで輪っかをつくり、上の柔らかいところを輪っかにぐるぐる巻いていきます。単純な作業の割には上手下手がはっきりと表れます。
3.大祓いと茅の輪
3-1) 大祓いの意味
神社に行ってお祓いをしてもらうことはよくありますが、年に2回たまった罪穢れを払ってもらうお祓いを大祓(おおはらえ)と呼び、6月30日と12月31日に執り行われます。日本書紀にも記述があるので古代から行われていたのでしょう。6月30日は一年の折り返しでもあるし、これから厳しい夏を越えなければならないので夏越祓(なごしはらい)ともいわれます。全国の各神社で執り行われています。
3-2) 大祓いの詞(延喜式から)
全国の神社で行われている神事ですが、奏上される詞(ことば)も全国一律です。それは延喜式(律令の細則)で決められているからです。延喜式は醍醐天皇の命令で延喜五年(905年)から延長五年(927年)までかけて編纂されました。平安時代に宮中や神社でのお祓いは宗教ではなくて公務だったのですね。大祓詞(おおはらえのことば)は神社庁から公表されていて著作権も無いようです。作者は藤原氏の先祖さまの 天児屋根命という説もありますが、そうなれば神話の世界ですね。下につけておきます。なかなか味わい深い詞です。
3-3) 茅の輪くぐりの意味
今井町の郷土史家によれば昔は奈良県には茅の輪くぐりの風習はなかったそうです。200年ほど前に書かれた高取藩の地誌に、茅の輪くぐり大和にはこれ無き候、と書かれているとか。大祓い、夏越しの祓いが先にあった神事で、茅の輪くぐりは後に加えられたものです。茅の輪には疫病除けの力があるといい、それは民話から来ています。
スサノオというと天照大神の弟ですが、あまりのイタヅラが過ぎて天界を追放されてしまいます。旅の途中で宿をとることになりましたが、ある兄弟のうちの兄である 巨旦将来 は断り、弟の 蘇民将来が受け入れて貧しいながらもよくもてなしてくれました。スサノオは感謝のしるしとして魔除け茅の輪を残していきました。のちにこの国に大変な疫病が流行り、茅の輪を持っていた 蘇民将来とその家族だけが病にかからずに生き永らえたということです。スサノオは京都の八坂神社や熊野の熊野大社に祭られています。
つまり今井町の春日神社で作って持ち帰るマイ茅の輪は「私は 蘇民将来 の子孫だから疫病や魔物は来ないように。来たらスサノオがただでおかないよ。」という玄関に掲げたお触書のようなものなんですね。
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